村崎太郎 むらさきたろう

猿まわし「太郎次郎」の村崎太郎のトーク&ライブ

職業/現職 猿まわし師

略歴

初代次郎とコンビを組み猿まわしを復活させ、「笑っていいとも!」の反省ポーズで全国的な人気者になる。初代次郎が急死後も、四代目へと伝統芸を引き継ぎ、テレビ・CM・国内外で活躍中。動物芸初の文化庁芸術祭賞受賞。2008年に被差別部落出身をカミングアウトし、自叙伝『ボロを着た王子様』出版。

■職歴・経歴
1978年  初代次郎とコンビを組み日本に途絶えた猿まわしを復活させる。
1988年  フジテレビ「笑っていいとも!」をきっかけに反省ポーズで全国的な人気者になる。
1989年  初代次郎が急死。「その死を無駄にしないためにも」と二代目次郎の調教を開始。
1990年  故ハナ肇氏が後見人となり、二代目次郎襲名
1991年  歌舞伎仕立てのスーパー猿芸「義経」(村崎太郎が作・演習演出)
文化庁芸術祭賞受賞。
      新三共胃腸薬の反省CFで全日本CMフェスティバル優秀賞受賞。  
1992年  アメリカ合衆国に進出。NYリンカーンセンターで公演した他多数テレビに出演し、アメリカ連邦
      議会から日本伝統芸の称号を受ける。
1995年  中華人民共和国にて公演。上海雑技団の舞台にゲスト出演
1996年  静岡県伊東市に「次郎おさるランド」オープン
1998年  次郎結婚。同年次郎に長女、次女、長男と一男二女誕生。生後すぐに親とはぐれた子猿を引きとり“モン”と名づけ太郎が親代わりとなる。この“モン”がのちに三代目次郎(2005年襲名)となる。
2006年  三代目次郎に長男誕生。“太陽”と命名。07年より四代目次郎候補として調教開始。
2007年  村崎太郎はフジテレビ・ドラマプロデューサー栗原美和子と出逢う。
同年3月 フジテレビ系全国ネット放送で、栗原プロデュースで、『太郎と次郎~反省ザルと僕の夢~』が放送される。村崎太郎と猿の次郎の半生を描いたドラマ(主演:坂口憲二)。同年7月栗原美和子と結婚。
2008年4月四代目次郎襲名それ以降、太郎次郎が見たニッポンと称して、全国の旅公演を開始。ハンセン病院や被爆者の方などを訪れ、四代目次郎は多くの方々と握手をして回る。
同年10月 栗原が、村崎太郎との結婚体験をベースにした私小説『太郎が恋をする頃までには…』(幻冬舎刊)を出版。この小説の中で、村崎は、自らが被差別部落出身であることを告白。著名芸能者では、初めて堂々とカミングアウトしたことで注目を浴びる。
同年12月 読売テレビ系番組『たかじんのそこまで言って委員会』に出演。
「部落差別」をテーマに、被差別部落出身者の立場から意見を述べ、その初めての試みが注目を浴びた。
2009年4月自叙伝『ボロを着た王子様』(ポプラ社刊)を出版。カミングアウト後の初の自叙伝であり、被差別部落に生まれ育った経験を正直に綴り、話題となる。それをキッカケに、日本全国の慰問旅を開始。
四代目次郎と共に各地を訪れ、猿まわし芸・ギターの弾き語り・人権落語などを披露し、いろいろな理由で心に傷を負った人々と語り合っている。「これは、ボランティアの旅ではなく、私と次郎が皆さんから元気と勇気をもらう旅です」というスタンスで、ハンセン病患者療養所・被爆者・限界集落・部落・児童養護施設などなどを回っている。
2010年1月その活動の様子が、朝日新聞夕刊一面で取り上げられ、さらに注目される。
同年同月NHKの全国ネット放送番組『ゆうどきネットワーク』に出演し、被差別部落出身者の立場から、現在の人権問題を語り、大きな反響を得た。
同年6月最新刊『橋はかかる』(ポプラ社刊)を出版。妻である栗原美和子との共著で、人権問題をさらに深く掘り下げた内容となっている。

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